最近ふと思ったことがあります。

職場の人になんて言われたらへこむだろう?
それでChatGPTにわたしがへこみそうなことあげてみてもらったところ、どれも全然刺さらなくて。
たとえば大切にしている人に
「あなたじゃなくても別に良かった」
「あなたじゃないほうがうまくいった」
と言われたらそれを数年、下手したら一生引きずるほどへこむことは容易に想像できます。
でも会社の人に何言われても案外大丈夫そうだったので、その理由を考えてみました。
結論
全力投球もしていない、自分をさらけ出しもしていない場所の人に何を言われても「それは自分じゃない」のでどうでもいい
よく「頑張ったからこそへこむんだよ」なんて言ったりしますが、日常生活もそれと同じですね
弊害といえば仕事の時間は一日のほとんどなわけで、一日のほとんどを「どうでもいい」と思って適当に過ごしているとなんのためにこんなことやってるんだろう?って見失いそうになることですね
生活のためだよ!
人間関係には悩みがつきものですが、このマインドセットだと日常ほとんどへこむこともなく精神衛生は良好です。
これは妄想ですが、もしわたしがyoutube配信を始めたとして、変なコメントをされたら相当へこむんだろうなぁ
どこのだれともわからない、実体があるかすらわからないコメントにはへこむであろうに、一日の大半身を置く場所の人たちに何言われても大丈夫って
つまり本気を出さないことって最大の逃げ道なんだなぁ
ChatGPTにはこのマインドセットの危うさを指摘されたりもしましたが、有限な人生、すでに大切な人もモノも十分あるのに 広く浅い交友関係をつくることはわたしにとっては重要ではないと判断しています。
でも身近にものすごく交友関係が広く、フットワークも軽い方がいて、彼女はそれゆえに人生がうまくまわっているし、充実もしているので、彼女にとっては明らかにそっちが正解。
もしわたしが彼女のようになろうとしたら他人様の加護を得て助かる経験よりも日々の消耗が激しすぎて立ち行かなくなるのだろうと思う。
自分の性質と合わせた人付き合いをすることが結局一番正解なんですよね
職場の同僚は仕事中の息抜きに雑談をするくらいでちょうどいい
終業後のプライベートな時間や休日を使いたくはないかな
すこし前まではこの考え方が主流だったのが、最近世の中的にまた「コミュニケーションとりたい」派が盛り返してきた雰囲気を感じます。
どちらの意見も尊重される会社・社会であってくれるとうれしいものです。

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