令和の時代に学生だったら不登校児だっただろうな|出社がつらい理由

DIARY

週に一回の出社日に体が慣れてきた…なんて思ったのは幻でした。

わたしが令和の時代に学生生活を送っていたら不登校児になっていただろうな

と思うほど、出社の日の朝がつらい。

ふだんは六時ごろ自然と目が覚めて、ネガティブな気持ちなく仕事に取り掛かれるのに、出社の日の朝はとにかくだるい。

六時に自然と目が覚めることなんてないし、この間なんて目が覚めたら八時を過ぎていました。

二度寝ができないタイプである自負があるのですが、週に一度この日だけは例外で目が覚めたあとに再度眠りに戻れる。

会社に行ったらだれか嫌な人に会うでも何か嫌なことがあるでもない。

場所が会社のオフィスか自分の家か、それだけの違い。

なのに、前日夜から憂鬱な気分で、悪夢を見て、朝はだるくて起きられない。

わたし自身これは甘え以外の何物でもなく、すっかりぬるま湯につかってきた弊害と理解しています。

こんなに何にも嫌じゃなくても、ただただ外にでるのがイヤなことってあるんだ…

と我がことながら目からうろこ。

『体がいくら拒否したとて、ここ以上に楽な職場ないんだからやるしかないよ』

『ここを辞めたら自分にとってもっと過酷な環境に身を置くことになるよ』

それはわたしが大人だからわかって、自分で判断して続けるけれど

わたしが今の時代に学生だったら、毎日の通学に耐えられなかっただろうな

言語化できないけれど無理

小さなプレッシャーの積み重ね

今はそれで通学ができなくなることをまわりが「理解」してくれて「許容」してくれる世の中だから、わたしが子どもだったら余裕で不登校ロードだっただろうなぁ…

しかしそもそも学校という小さな枠にたくさんの他人と一緒に入れられて、ルールにしばられて、一日中勉強して その環境で「楽しい!」しか感じない人間、存在するのか?

何かしらのストレスを感じて当たり前では?

義務教育を終えてからはよく仮病で欠席しました。

しかし学校を休んだとて「わーい、いつも頑張ってる自分へのご褒美だ!あそぶぞ~!」とはならないものです。

日頃の学校生活で自分より頑張っていない子を見つけるほうが難しいくらいなのに、そんなに自分に甘くなれないわけで。

じゃあ、休んで何するかっていうと

わたし
わたし

よし!学校にいるときよりも有意義に効率的に過ごすぞ!

って意気込んでみるわけです。

でもそんなのできるわけないんですよ

自分を律することほど難しいことはないです

だったらベルトコンベアで流されるかのように学校生活を送るほうが簡単なんですよ、わたしのような凡人の場合は ね

フリーランスより雇われのほうが楽だとか

自分で考えて動くより与えられたものをこなすほうが楽だっていうのは

大人になってから気づきました。

それを知らなかった子どものうちから

ベルトコンベアで流されるのがイヤ?

じゃあ降りていいよ~

って助言されなくてよかった。

色々な生き方がある中で、凡人のわたしには結局それが一番楽な方法だったと思うから。

だって結局わたしって、嫌なことなんて何もなくてもただただ会社に行くのが億劫な人種なわけで…

そんなわたしがベルトコンベア降りてたらどうなってたわけ?

ただただ人類から遅れをとることになったか、そのまま廃人になったかなのでは…

だからわたしはこれからも四の五の言いながら出社日頑張ろうと思います。

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