夫への愚痴【自己評価>他者評価】

DIARY

「多くの人が勘違いしているけど、木は腐らないんだよ」

と夫に言われました。

そんなわけないのでChatGPTに変なことを言われたときと同様の方法で別の角度から聞き返すと

「揚げ足とらないでよ」

と言われました。

結局のところ、正しく言い換えると、「建築のやりようによっては木を腐らせないこともできる」でした。

わたしは「木材は腐らない」と「木材を腐らせないこともできる」では意味が全く違うと思うし、このタイミングでの「揚げ足とるな」も返しとして不適切だと思います。

わたしは言葉遣いに厳密すぎるのでしょうか。

以前に夫に嫌そうに、嫌味に、そんなことを言われたことがあります。

そんな難しい言葉を使って、甥っ子たちにもそんな言葉使うの?とも。

こどもたちと話すときは一度頭に浮かんだ内容をできるだけ易しい言葉に直してから言うように極力してますけれど、それって大人相手にも必要なことですか…?

実際にそんな話し方されたらバカにされたように感じるだろうに…

指摘しても良いことないので本人には言わないけれど、「バカにされたくない!」「自尊心!」「他人に評価されたい!」が節々で悪い方向に出るんだよな

自分の得意分野で圧倒できるのだから他のところでの”勝ち”は他人に譲ればいいのに、こどもの負けず嫌いみたい。

個人的にはできる人ほど「わからない」「できない」と表明するのを怖がらない印象があるので、その逆をやられた上にちょっと機嫌を悪くされるとき、すこし残念な気持ちになります。

それに、他人に厳しく自分に甘いところもあります。

たとえば夫は運転が得意なので、車に乗れば8割方他のドライバーの愚痴を言っています。

ウィンカーを出すのが遅いだの、右折レーンのないところで右折するなだの、左車線から抜くなだの、まわりが全然見えてないだの。

正しいことを言っているのですが、何年も何年も聞き続けてわたしの耳にタコ。

でも車を降りると夫はまわりを見ていない側の人間になります。

食料店の通路を遮るように立つので「あの人うしろ通りたそうだなぁ…」と夫の背中を軽く押して合図すると、一度目は気分を害したような無言で、二度目別の場所では小声で「そんなの知らないって」とキレていて、残念な気持ちになりました。

それでいて自分は誰より怒らなくて優しい人間だと思っている夫。

確かにキレやすいほうではないし、優しいほうだけれど、あなたの自己評価ほどあなたの器大きく見えないなぁ…

おやすみでふだんより一緒にいる時間が長かったがためにモヤッとする瞬間を積み重ねたお盆なのでした。

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