挨拶が苦手な理由【ずっと後悔していること】

DIARY

ずっと心にひっかかっていることがある。

昔、盲目の男性がアルバイトしていた塾に講師としていらしたことがある。

その日の帰り、ドアのところで、盲目の男性と補助の方と一緒になった。

わたしはいつも根底に

わたし
わたし

私事で相手の時間をとりたくない

という気持ちがある。若いころは今よりずっとそれが強かった。

この気持ちは保育園のときにはもうあって、例えば保育園でじゃがバターがイベントか何かで配られたとき、今も昔も手が緩いわたしは食べる前にそれを落っことした。

先生たちが「違うのあげるね」とバタバタしてくれたけど、「いいです、いいです」と遠慮した覚えがある。

それ以外は片づけも含めて記憶がないので、その場から逃げるように立ち去った可能性もあるし、実際はその後新しくもらって美味しくいただいたかもしれないけれど。

幼少期にはすでに性質としてあったこの部分のために、結構挨拶すら苦手なのである。

「おはよう」と声をかけたら相手の「おはよう」と返す時間をとる、とか

作業中に挨拶したら手を止めさせることなる、とか。

逆に考えすぎである。

しかももしそれが事実で確かに相手の時間をとるとしても、挨拶だけはした方がいい。

頭では分かっているが、そういうのが根強くあって。

そして5年近く引きずっているその小さな事件は起きた。

さて、狭い靴を履くエリアで一緒になった目の見えない男性と補助の方とわたし。

先に靴を履き終わってドアをあけたわたしは、二人のためにドアを抑えていた。

それに対して、男性はお礼を言ってくれた。

ありがとうございます。私は…

でも「ありがとうございます」のあとにまさか何か続くと思っていないわたし、ササッとドアを閉めてもう立ち去っていた…

脳が「ありがとうございます」の続きに彼が何か話そうとしていたことを認識したときにはもう色々遅い(戻って、「すみません、なにか言いかけましたよね」というのも変)状況になっていた。

わたしはもう5年ほど、ずっと何か話しかけようとしてくれた目の見えない男性を無視して立ち去ったような構図になってしまったことを後悔している。

彼は、わたしが彼と話すことに興味がなくて、彼のために時間をとりたくないと思ったかもしれない。

そんな思いを一瞬でもさせてしまったなら申し訳ない。

よく「まずは自分を大切にしないと、人を大切にできない」と聞くけれど、それに共通する事件だったと個人的には思う。

もしまた彼と会う機会があっても、謝るのもどうしてかすごく苦手なわたしは

わたし
わたし

あのときは申し訳ありませんでした

感じ悪くなってしまって💦

と言うことはできず、

わたし
わたし

きっと別にあんな些細なこと覚えていらっしゃらないだろうし、むしろ変に謝罪して思い出そうとされる時間が申し訳ない

となってしまうと思う。

実際は相手がそれを覚えているにしても覚えていないにしても、謝罪はしておくべきだと思うのに。

ああ、良くない。

文章ならもう少し言いやすいのに。

面と向かって話すのが苦手な王道コミュ障。

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