診断名のついた子供たち
親戚や、あとは仕事関係で出会う子供たちを見て、
昔と違ってすぐ診断がつくんだなぁ
と、大して昔のことも知らないくせに思っています。
ちょっと言葉が遅い子には自閉症の診断がつき、そのときには親が大変ショックを受けていたのを覚えています。
わたしが客観的に見て、その子の頭の良さは兄弟随一だったので
お医者さんが言うならそうなんだろうけど…
これでそれなら診断がついたとて別に気にしなくて良さそうだなぁ
と当時思いましたが、あれから1年してその子はやっぱり頭がよくて、確かに活舌は同世代と比べたら少し劣るとはいえ、これで診断がつくのか…と。
仕事で子供たちを見る際にも親御さんから「診断で〇〇と子どものころに言われてて。何年生まで特別級にも通ってて」と申告を受けることがあります。
いざその子たちを見てみると、個性はあれど、全然普通です。勉強の出来不出来も、普通です。
親御さんからの前置きがなかったら、わたしが自ら気づくことはなかったでしょう。
複雑な親心
一人の親御さん(医療関係者)曰く、先生には
もっと詳しく調べたらみんな何かしらの診断名はつくし、君の子供にもつくだろうけど、精密に検査して何らかの診断名をつけたところで、特別な学校に行くことになるでもなし、変わらないよ。
と言われたことがあるそうです。
現代の親御さんは心配してすぐに病院にきてくれるから、診断名がつく子も多い。
10年以上前に英語教室講師をしていたころ、
わたしの息子、〇歳のころに自閉症グレーゾーンの診断受けてるの。迷惑かけたらごめんね。
と言われたことがありました。その子はわたしが受け持った小学校低学年の時点でほとんどその気はなく、その後普通に中学校、高校に進学し、今は大学生になりました。
上述の1年前に自閉症の診断を受けた子も、この男の子と同じく、他の大多数と同じく、普通の学校に行って、普通の人生を送ることと思います。
診断名がほしくて病院に連れて行くのではないと思うのですが、病院に行ったら診断名がついてしまうという仕組みなのかもしれないなぁとそんな因果を感じます。
もし診断名がついていたら
わたしは色々普通な子どもでしたが、ひどい癇癪持ちでしたので確実に診断名をもらっただろうなという自信があります。
今もあのまわりからしたら理不尽でしかない癇癪を起こすときの感情を思い出せますが、大人の理性で「なんと理不尽な」と思うと同時に、「あの感情を子どもの自分が抑えることは不可能」とも思うのです。
わたしの中に悪魔がいて、それがときどき暴れだす。大人になったら制御できることも増えたし、制御できなくても「悪魔が暴れている」のは認識できるけれど、子どもの時分は悪魔が暴れだすとどうしようもできないし、それを抑えるのは自分ではなくまわりの人の役割だと思ってしまっていました。
もしわたしに診断名がついていたら、親は少しは楽だったのかなぁ。「あ、症状でたこれ。」って。
でも時代的にすごく気にしそうだし、それはそれで大変だったかなぁ。
わたし本人的にはもし診断がついていたら、それをずっと笠に着たかもしれないです。
「わたしは〇〇だから仕方ないだろー」って横柄になったり、「わたしは〇〇だから恋人に申し訳ない」って卑屈になったり、「わたしは〇〇だから…」ってむやみやたらにそれを理由にしたかもしれないなぁ…と。
わたしがこんな性格なのはわたしが〇〇だからではなくて、わたしの性質と未熟さからだと自覚できるほうが健全かな というか、わたしのような悪魔的な性格でなければ診断名がついてもつかなくても子ども本人的には変わらなかったりするのかな?
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