願い事はいつも【猿の手】

DIARY

もうすぐ新年。

新年にすることといえば初詣。

初詣然り、神社仏閣巡り然り、願い事を唱える機会が年に数回ありますよね

先日友人に「スピリチュアルな日時に願い事をすること」を推奨されました。

詳しいことはこちらのブログにありましたのでご参照ください。

そんなわけで初詣の前に願い事を考える機会を得たわけですが、わたしは願い事を結構恐れているタイプだと気づきました。

「自分がこうなりたい」とか「こうなったらいいな」と願うことに抵抗があります。

それが叶う代償に、今ある幸せを失う気がしてしまうのです。

完全に猿の手症候群(命名しました

ちなみに猿の手とはイギリスの古典怪奇小説です。

猿の手 - Wikipedia

簡単なあらすじは 願いを3つ叶えることのできる猿の手にローンの完済のためのお金を願った夫婦。その息子は翌日職場で亡くなり、夫婦は願った通りの額、弔慰金を手にする。2つめの願いに妻が「息子を生き返らせて」とすると、しばらくして玄関のドアがけたたましくノックされる。夫は3つめの願いでそれをとめる…

というわけで、わたしは神社仏閣で変に自分のことを願うと、それを叶えていただける際に大きな代償を払うことになる気がして、それが怖くて

なにか願うときには平和や家族の健康にしています。

しかし、今回友人にオススメされた「スピリチュアルなタイミングに願うこと」は神様に願うというより自分の意志や進む先を自身に明確に意識させる目的が強いと思い、わたしの願いは何か…と考えてみたのですが、例えば「お金をたくさん稼げるようになりたいかな?」と思った一瞬後には「代償に自分または家族の健康が損なわれるかも」

「有名なYoutubeになりたいかな?」と思った一瞬後には「炎上で有名になってたたかれるかも」

※どちらも例です。Youtubeしていません。

と考えてしまって、何も純粋に願えない。

何を願えば良いかわからない

これって本当になんらかの症候群でお仲間がいそうな気がします。

症名にお心当たりのある方、ご教示いただけましたら幸甚です。

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