学生時代、なんの習い事もしていませんでした。
部活は運動部でした。
何事も受動的で「やらされている」意識で、行事なども全然楽しめないタイプでした。
修学旅行などイベントの前にはよく、親に「行きたくないなぁ」と伝えました。
学校は「行きたくない」とは言わなかったのですが、
行事=お楽しみ(ご褒美)
の意識があったので、わたしにとってはお楽しみにならないし「行かなくていい?」と、そういう思考回路でした。
普通に友人はいましたし、何事も人並みでした。
でも、今思うと人より無気力気味だった気がします。
無気力なこと、執着しないこと、関心がないことが正しいと思っていた節があります。
大人になった今、子どもの無気力に苦しめられています。
一緒にお勉強していて、「やりたくない」「面倒くさい」を聞くだけでしんどくなります。
そりゃあ勉強なんてしたくないでしょう、とかつて子どもだったわたしも理解できるのだけど、そのネガティブ発言に精神疲労。
そもそも「やらされている」意識があるからこそ、「勉強やりたくない」なんて言葉が出るわけです。でも勉強するのは子ども自身のためなんですよね。
だから、目標を決めてもらおうと思ったのですが、過去のわたしなら「目標を」とか「勉強は自分のため」なんて言われても全く響かなかったなぁと思うのです。
目標の例として、
- 〇位以内に入る
- テストで〇点取る
がパッと思い浮かんだのですが、あのころのわたし自身が順位にも点数にも興味がありませんでした。人並みにできているし、それでいいとしか思っていませんでした。
そんな子に、大人は何をしてあげられるだろう?
きっと、何をされても無理だったと思うのです。自分で気づかないことには何もできないのだと思います。
だとすると、わたしはずっと無気力こどもの「やりたくない」を聞き続けなければならない?
わたしもしんどい上に、そんな気持ちで成績が上がるはずもなく、こどもにとっては無駄な時間、大人にとっては無駄金。
負けず嫌いな性格以外でやる気を出せた人の話が聞きたい。
ホルモンバランスの影響は今月も気力に来たようで、生徒どころか、もはやわたし自身が「もうやりたくない」ムード全開なのでした。
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